第6章 神々はどのようにして人々の言葉を乱したのか
それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。
旧約聖書の記述で一番不可思議なのはここだろう。
神はどのように人間の言葉を乱したのだろうか。きちんと話をして通じ合っていたものが、言葉がわからなくなることなんてあろうか、と思うであろう。
まず、乱した言葉は共通語。当時の人は様々な地方、国からここバビロンの工事現場に来ていた。彼らは地元、故郷の母国語や土語の他に、その当時の世界の共通語であった古代ヘブライ語かシュメール語を使って他国の人たちと共同作業をしていたのであろう。「言葉を乱した」とはこの共通語を乱したのである。
次にどのように乱したのか。
不思議な光線銃が呪文を唱えたのであろうか。そして一瞬で言葉が乱れたのであろうか。
いや、それは違うと思う。
旧約聖書の記述は1-2行なので、瞬間的に言葉の乱れが起こったように感じてしまうのであろうが、それは違う。
何しろ旧約聖書とは、天地が開けたビッグバンの時から、キリスト誕生の少し前までの実に長い年月の話なのだ。
だから、言葉を乱すのに要した時間も相当長い、というか、五十年から百年、2百年くらいであろうと私は考える。
どのような方法でやったのか。
工事現場で働いている人たちは、きっと共通語をマスターしているのでこれを忘れさせることは神といえどもできない。
どうやったのか。きっと教育を乱したのであろう、と思う。
たとえば、彼らの母国に行って、彼らの学校の教科から共通語を外す、とか。
もちろん彼らの族長や政治家に働きかけて学校の教科から外したのではないか。
教育には政治の力が非常に大きい。
語学の習得が大変な負担なのは、古今東西を問わず変わらないであろう。
例えば、今、学校で、もう英語を勉強しなくても良いよ。センター試験の教科からも外すし、高校、大学受験でもその科目はなくなるよ、と告げたら受験生は負担が減って大喜びであろう。
それでも当初は、大人たちは「英語を勉強した方が良いぞ」と子供らに言うだろうし、大学入試でも全部廃止するわけにもいかずある程度残るであろうが、年々、衰微するであろう。
このように「たられば」のことを考える必要もない。
現に今の我々も知らないうちに経験しているではないか。
漢文である。
伝統ある大学や高校の校歌や寮歌、応援歌などは、漢文調で重いものが多い。その多くを当時の学生が作っているのである。
私は予々(かねがね)、どのようしたらこのような格調の高い文章を作れるのかな、と思っていた。
答えは簡単であった。
当時の学生は今よりもかなり漢文を勉強していたのである。
当時は、というか戦前は今よりもはるかに漢文教育が盛んだったからである。
主要教科の一つであったそうだ。数学、英語、国語、漢文 みたいな感じであった。
しかし、今はそこから外れ、廃れたのである。
当時の知識人は嗜みとして、漢詩くらい作ることができたそうだ。
多くの大学生も漢詩を作ることが出来たであろう。
夏目漱石も森鴎外も立派な漢詩をこしらえている。
今では漢詩を作るのは趣味で漢詩をする人だけ。
そもそも我々の多くは漢詩にはそもそも馴染みがない。
つまり、明治から150年ほど、あるいは戦後70年間の教育のやり方でこれほど変わるものなのである。
閑話休題
それでも当初は、大人たちは「英語を勉強した方が良いぞ」と子供らに言うだろうし、大学入試でも全部廃止するわけにもいかずある程度残るであろうが、年々、衰微するであろう。
このように「たられば」のことを考える必要もない。
現に今の我々も知らないうちに経験しているではないか。
漢文である。
伝統ある大学や高校の校歌や寮歌、応援歌などは、漢文調で重いものが多い。その多くを当時の学生が作っているのである。
私は予々(かねがね)、どのようしたらこのような格調の高い文章を作れるのかな、と思っていた。
答えは簡単であった。
当時の学生は今よりもかなり漢文を勉強していたのである。
当時は、というか戦前は今よりもはるかに漢文教育が盛んだったからである。
主要教科の一つであったそうだ。数学、英語、国語、漢文 みたいな感じであった。
しかし、今はそこから外れ、廃れたのである。
当時の知識人は嗜みとして、漢詩くらい作ることができたそうだ。
多くの大学生も漢詩を作ることが出来たであろう。
夏目漱石も森鴎外も立派な漢詩をこしらえている。
今では漢詩を作るのは趣味で漢詩をする人だけ。
そもそも我々の多くは漢詩にはそもそも馴染みがない。
つまり、明治から150年ほど、あるいは戦後70年間の教育のやり方でこれほど変わるものなのである。
森鴎外 1862-1922 陸軍軍医 小説家
文豪 立派な漢詩をいくつも作っている。
閑話休題
前の章でも述べたが、当時の人間の寿命は今よりもずっと長かったようだ。300年くらいとも思われる。旧約聖書に書いてあるのだが、それが事実であるか、また、そのままマトモにとって良いかは分からない。
しかし、人の寿命が今と同じ70年くらいであろうと、三百年であろうと、そのくらいの年月が経つと一世代置き換わる。
かつてバベルの塔を作っていた頃、世界共通語は古代ヘブライ語かシュメール語であったようで、その教育を各部族とも一生懸命やっていたのではないか。そしてかなり高いレベルの、ひょっとしたら、神々、支配者階層よりも高いレベルの語学力を身につけ出したのではないだろうか。
神々、支配者たちはそれを恐れ、その教育を乱した。各部族に働きかけ、共通語教育を無くしたか、骨抜きにした。その教育を受けた世代が70年か300年くらいして入れ替わると、語学力は低下し、バベルの塔を作る人々のコミュニケーションがスムースでなくなり、廃れてしまった、と考えると自然ではないだろうか。
私の推論であるが、イラクのバビロン周辺には巨大な塔らしき遺跡がたくさんあるそうだ。人々はここに防災を兼ねた巨大な都市を築こうとしたのではないだろうか、あるいは、完成したのかもしれない。
そこは支配者層を受け付けない「共和国」であったかもしれない。
それに神は脅威を感じたのかもしれない。
それに神は脅威を感じたのかもしれない。
そこは強固でとても支配者層の武力での鎮圧は難しかったのだろう。
故に、年月をかけて言葉と教育でダメにしたのではないか、と私は考えている。
今まで述べたバベルの塔が崩壊した理由をまとめてみよう。
○神々とは、支配者のことであろう
○バベルの塔を一瞬で壊したのではなく、共通語教育を廃れさせることにより、1世代か2世代が交代するくらいの時間をかけてダメにしたのではないか。
さて、バベルの塔の滅びた理由は以上である。
このように読み解いたものを他に私は知らないし、この解釈は新規のもの、私独自のものと思っている。
それで皆様方に是非お伝えしたかったのである。
平成30年5月6日(日)
このように読み解いたものを他に私は知らないし、この解釈は新規のもの、私独自のものと思っている。
それで皆様方に是非お伝えしたかったのである。
平成30年5月6日(日)
話はもう少し続く。
これと同じようなことが現代日本でも起こっていないだろうか。
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