2020年8月30日日曜日

19 人間は考える葦である パスカル

Man is but a reed、the most feeble thing in nature;but he is a thinking reed.

現代英文訓読法で書いたものを下に示す。
このアイデアをどのような人を対象に考えたか、というと、
だいたい、中2レベルの英語力があれば、理解できるものと想定している。
中2レベルとは・・・
⭕️アルファベットがわかる
⭕️英語の語順と日本語の語順は違う事が分かっている。
I like English.
私は英語が好きである
 なるほど、動詞の位置が違う
⭕️あとは、「前置詞ってあったよな」とか「関係代名詞」「受動態」って何が授業で言っていたな、という程度でよろしいかと思う。

訓読法でしっかりと読んでいただき、そのあと、原文を読んでみる。さらに、一番下の空欄に英語を入れられるか、を試みてもらう。それで、しっかりと理解できる。
それを繰り返していけば、高度な英語力を身に付けられるであろうと思う。

現代英文訓読法で

フランスの哲学者・科学者 パスカルのことばです。

reed /riːd/ (!read1と同音)
名詞
1 C〘植〙アシ, ヨシ; アシのような(弱々しい)人[もの]
▸ a thinking reed
考えるアシ〘「人間」のこと; フランスの哲学者パスカルの言葉より〙
▸ a reed bed
アシの群生地域
▸ a broken reed
頼みにならない人[もの].
2 C〘楽〙リード〘木管楽器などで使用する薄い木片〙; 〖the ~s〗リード楽器類〘オーボエ, クラリネットなど〙.
3 U⦅英⦆(屋根ふき用の)麦わら.
動詞
他動詞
〈屋根など〉をアシでふく; 〈楽器〉にリードをつける.


feeble /fíːb(ə)l/
形容詞~r; ~st
1 〈人体の一部が〉(老齢病気などで非常に)弱った, 衰弱した; 力のない (!weakよりも強意的な語; 哀れみや軽蔑を含意する) .
2 〈音光などが〉微弱な, かすかな.
3 〈冗談言い訳などが〉効果のない, 説得力を欠く; 〈力勢力効果などが〉弱い, 不足している, 不十分な
▸ a feeble joke
つまらない冗談
▸ make a feeble attempt [effort]
はかない試み[努力]をする.
4 〈性格精神力が〉弱い; 〈知能が〉低い.

ブレーズ・パスカル

ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal、1623年6月19日 - 1662年8月19日)は、フランス哲学者自然哲学者物理学者思想家数学者キリスト教神学者発明家実業家である。
神童として数多くのエピソードを残した早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。ただし、短命であり、三十代で逝去している。死後『パンセ』として出版されることになる遺稿を自身の目標としていた書物にまとめることもかなわなかった。
人間は考える葦である」などの多数の名文句やパスカルの賭けなどの多数の有名な思弁がある遺稿集『パンセ』は有名である。その他、パスカルの三角形パスカルの原理パスカルの定理などの発見で知られる。ポール・ロワヤル学派に属し、ジャンセニスムを代表する著作家の一人でもある。
かつてフランスで発行されていた500フラン紙幣に肖像が使用されていた。

生涯[編集]

1623年フランス中部のクレルモンにおいて、徴税の仕事をする行政官を父として生まれた。二人の姉妹がおり、その内の一人のジャクリーヌとは非常に仲が良く、この世で一番愛していたともいわれる[1]

数学、自然哲学への才能の早熟[編集]

パスカルは幼少の頃から天才ぶりを発揮していた。例外の多い語学への影響を懸念した父親によって数学から遠ざけられていたが、まだ10歳にもならない頃に、三角形内角の和が二直角である事や、1からnまでの和が(1+n)n/2である事を自力で証明して見せたと言われている。

歯車式計算機「パスカリーヌ」
パスカルが少年の時に、教育熱心な父親は一家を引き連れパリに移住する。パスカルは学校ではなく、家庭で英才教育を受けた。父親は自然哲学やアマチュア科学をたしなんでおり、その知識をパスカルに授けた。しかも、自宅には当時の一流の数学者や科学者が頻繁に出入りし、自宅は一種の「サロン」や「サークル」の状態になっており、彼はそうした大人たちの集いにも顔を出し、様々な知識を吸収することも出来、大人たちと討論したり思索を深めたりすることで、その才能が本格的に開花した。
1640年、16歳の時に、『円錐曲線試論』を発表。
17歳の時には、機械式計算機の構想・設計・製作に着手し、それを見事に2年後に完成させた。これによって、父親の徴税官の(計算の)仕事を楽にしようとしたのだ、とも言われている。またこの計算機の設計・製作に過度に没頭したことが、パスカルの肉体を傷め、病弱となり、寿命を縮める原因のひとつとなった、とも言われている。

その他の数学、自然哲学の業績[編集]

等々。

神学者、キリスト教弁証家として活動[編集]

1646年、パスカル一家はサン・シランの弟子らと出会い、信仰に目覚め、ジャンセニスムに近づいてゆく。
1651年、父が死去。妹ジャクリーヌがポール・ロワヤル修道院に入る。
パスカルは一時期、社交界に出入りするようになり、人間についての考察に興味を示す。オネットムhonnête homme(紳士,教養人)という表現を用いる。
1654年、再度、信仰について意識を向け始め、ポール・ロワヤル修道院に近い立場からものを論ずるようになる。
1656年 - 1657年、『プロヴァンシアル』の発表。神の「恩寵」について弁護する論を展開しつつ、イエズス会の(たるんでしまっていた)道徳観を非難したため、広く議論が巻き起こった。また、キリスト教を擁護する書物(護教書)の執筆に着手。そのために、書物の内容についてのノートや、様々な思索のメモ書きを多数記した。だが、そのころには、体調を崩しており、その書物を自力で完成させることができなかった。
ノート、メモ類は、パスカルの死後整理され、『パンセ』として出版されることになり、そこに残された深い思索の痕跡が、後々まで人々の思想に大きな影響を与え続けることになった。存在について確率論を応用しながら論理学的に思考実験を行った「パスカルの賭け」など、現代においてもよく知られているパスカル思想の多くが記述されている。
『パスカルの賭け』において、パスカルは、多くの哲学者や神学者が行ったような神の存在証明を行ったわけではない。パスカルは、そもそも異なる秩序に属するものであることから神の存在は哲学的に(論理学的に)証明できる次元のものではないと考え、同時代のルネ・デカルトが行った証明などを含め哲学的な神の存在証明の方法論を否定していた。パスカルは、確率論を応用した懸けの論理において、神の存在は証明できなくとも神を信仰することが神を信仰しないことより優位であるということを示したのである。

5ソルの馬車[編集]

1662年、「5ソルの馬車」と呼ばれる乗合馬車( = 馬車の共有)というシステムを着想・発明。パリで実際に創業した。これまで、馬車と言えば、富裕な貴族が個人的に所有する形態しか存在しておらず(今日のタクシーにあたる辻馬車1625年ロンドンに登場、ほどなく、パリにも登場している)、パスカルの実現したこのシステムは今日のバスに当るものである。

最晩年[編集]

パスカル自身は乗合馬車の創業6ヶ月後に、体調がいよいよ悪化し、死去。39年の生涯を閉じた。
死後、パスカルが病床で着ていた着物(肌着)の襟の中に、短い文書が縫い込められ、隠されているのが発見された。そこに書かれていたのは、彼自身が以前に体験した、回心と呼ばれる宗教的な出来事だった。

1623 - 1662

空欄を埋められるであろうか

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