2020年1月12日日曜日

なぜ私は英語のことわざを覚えたり、漢文を覚えようとしたりしているのか

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こんにちは
成人の日を含めて3連休。
3連休は実はあまり嬉しくはない。どうせなら、週の中に休みが欲しい。
中休みはありがたいものだ。
そんなに旅行するわけでもないし。

さて、前にさかんに英語のことわざを覚えた。
今は漢字検定1級受験の準備のため英語は一休み。
漢文(主として論語、今、孟子)を覚えようとしている。
 それはなぜか。自分の頭の中に生ずる「化学変化」を楽しんでいるのである。
 明らかに賢くなったような気がするのである。
 なぜ賢くなるのか。
 それが、下の齋藤孝先生の著書にある、「引用力」なのですね。
 この「引用力」のある人間が賢い人間なのです。
 というのが今日の結論です。














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もうひとつ 斎藤孝先生のお勧めの図書 10傑
第7位は 論語

国民の「共通知識」というべきものは非常に大事ではないだろうか。
日本では江戸時代の後半から、教育熱が高まった。
そして何を勉強したか。
武士も平民も藩校や寺子屋で、論語などの四書五経、史記、十八史略など中国の古典を読んだのである。
 今、中国に対する我が国の中国に対する国民感情は非常に厳しい。
 仮想敵国である。現に私もそう思う。
 論語など四書五経を読むと良いよ、と知り合いに申し上げたところ、「そりゃあ、中国だろう。なんでそんなものを読むのか?」と非国民のように見られたこともある。
 しかし、それは間違っているだろう。
 我が国の祖先が当時最先端であった中国の知識を取り入れるために「訓読」という独特の方法を開発し、中国語の文献でありながらあたかも日本語を読むかのように読めるような方法を開発したのである。
 江戸時代、明治の日本人はこれを読むとき、特に中国語である、とは意識しなかったであろう。我々も漢文を読むときに、これは「中国語だ」と意識したであろうか。
 また、このような中国の古典から訓読を発達させ、それにより我々の祖先が日本語を磨いてきたのも事実である。
 論語などを見て「ありゃあ中国語だろう」と毛嫌いする人は、日本語を毛嫌いすることと同じである。

 さて、国民の「共通認識」の話に戻ろう。
 キリスト教社会の人は、聖書を小さい頃から読み聞かされ、これが国民の「共通認識」になっていると思う。
 同様にアラブの人はコーランであろう。

 さて、我々日本人にあるのか? というと、江戸、明治のころはあった。
 しかし、今はない。
 何かないか、となると、日本のことわざ も良いだろう、という話になる。
 小学生の塾では、日本のことわざをいくつも暗記させるところもある。
 優れた学習法と思う。
 また、齋藤孝先生も「日本語で遊ぼう」という本で、日本語の良い言葉をいくつも紹介している。
 日本語の良い言葉の源流を辿ると、多くは論語などの中国古典に行き着くのも事実。
 このようなものを国民の「共通認識」となるようにすれば、非常に豊かになれるのではないか、と考えているがいかがであろうか。

















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